廣岡夫妻の裁判がもつ意義 ― 2014/07/26
すでにお知らせしたように、協会会員の廣岡逸樹さん(山口県長門市、SOS子どもの村JAPANスタッフ、元山口県児童相談所職員、前児童養護施設長)と妻の綾子さんは、山口県を相手に裁判を起こし、三年目に入ります。 お二人は里親として子どもさんをあずかり、虐待などで心理的な影響を受けた少年を誠心誠意ケアしてきましたが 、里親を取り消され、里子を児童福祉施設に入れられるという一方的な対応(措置変更)を担当児童相談所から受けました。廣岡さん夫妻が、児童福祉施設での体罰、児童への性的なハラスメントなどを告発してきたことが一因と考えられます。この措置の不当性、および里親である綾子さんへの精神的なハラスメントを訴えています。 幹事の清水は、この間支援の準備をする中でいろいろ調べていくと、この裁判は日本の児童福祉を考える上で、きわめて大きな意義をもつことに気づきました。まったく無知は重大な問題を看過させるものだと恥じ入ります。私見によれば、この裁判が指摘する問題は以下の通りです。
1,日本において最も弱い立場におかれている子どもたちが絶対の孤立状態におかれている。 現在、児童養護施設に入所している子どもたちはほとんどが被虐待児で、親からの虐待を防ぐために、施設に保護されています。幼い頃から、親からの身体的・精神的暴力を受け、心がボロボロといえるような状態にあります。 保護してくれるはずの施設に入ると、今度は職員から暴力、ときには性暴力を受ける子どもたちが少なからずいます。助けをもとめる親はあてにならず、保護してくれるはずの施設の職員からも、施設の管理にしたがわないと暴力を受けます。まだ精神的に十分に成長していない子どもたち、他者からのケアが必要な子どもたちが、絶対の孤立状態に置かれています。 子どもたちは、やむなく職員などに従順になり、暴力による管理を受け入れこととひき換えに、自分の判断力、意思を抑圧し、深い精神的な傷を負うことになります。とりわけ精神的に未熟な子どもたちが性的な暴力を受けることはとりかえしのつかない心的障害を与え、人権侵害の最たるものです。
2,「タイガーマスク」運動などによる施設の神話化 日本の児童養護施設の多くは民間施設で、宗教団体や篤志家が孤児たちを支援するために始められた歴史をもちますが、それらのエピソードが一人歩きして「神話」になっています。児童のために日々努力するスタッフと不幸な境遇にありながらけなげに生きる子どもたちというイメージに拍車をかけたのが、ランドセルを送るタイガーマスク現象です。これ自体は善意のすばらしい試みであっても、マスメディアによってそれが美談として喧伝され 、児童養護施設が美化されることで、一般の人たちの関心がそこで止まってしまいます。ありのままの児童養護施設の姿を認識する機会が失われ、専門家がやっている自分たちとは関係のない領域として視野から外されるのです。 現実の児童養護施設は、世襲による継承、経営の論理で動いていることが多いとされています。補助金削減などに伴い、少ない人員でケアするために、強制的な管理に頼らざるをえず、また無理な体制が生み出すひずみが暴力となって、弱い存在である子どもたちに向けられるという構造があります。 児童相談所と施設は相互依存している関係があり、措置児童の入所先確保のためには問題があるとされる施設に入れざるをえない、あるいは問題をあえて見過ごすというなれ合いが批判されています。行政のチェックが有効に機能していないのです。 これが学校であれば、ほとんどの親が子どもを通わせ、当事者となるので、いじめ問題など国民の関心は高く、世論によるチェック機能もある程度働きますが、児童養護施設にかかわる国民は数的には多くないために、第三者のチェックも十分には機能していません。
3、施設依存と里親 日本の社会的養護の子どもたちの多くは児童養護施設で生活します。子どもたち、とくに年齢の低い子どもたちには特定の養育者との十分なアタッチメント(心理的、身体的接触)があることが望ましいので、本来は里親による支援が一番ふさわしいものです。しかし、日本の児童福祉は施設中心で、しかも比較的規模の大きい施設が多いと いう現状があります。 日本で里親の数が少なく、里親への関心が低いのは、伝統的に子どものない夫婦が里親からスタートして将来的に養子縁組をするというイメージがありました。養育環境を奪われた子どもたちを一時的にケアし、社会的な養育環境の一つとしての里親、誰もができる家庭での児童ケアという理解が欠けていたのです。 廣岡綾子さんと逸樹さんは、児童福祉の現場にいる者として、仕事以外にも、子どもたちには家庭でのケアが最善であるという確信の下に、里子を引き受けケアしてきました。日本社会に欠けている社会的養護の一端を担ってきたのです。 廣岡さんたちの裁判を支援していくことは、日本の社会福祉が軽視してきた社会的養護、普通の人たちができる子どもたちへ のケアを社会全体で支えていくという考え方の理解と普及をしていくことになります。廣岡夫妻だけではなく、各地にいる児童福祉を充分に理解した里親たちとの連帯にもつながる重要な意義があります。
グルントヴィ協会はデンマークの教育運動と連帯し、子どもたちの幸福を願う試みをする人たちのネットワークでもあります。現在、目の前にいる日本の子どもたちが幸福に生きる権利を侵害され、暴力(性暴力を含む)に脅える現実があるとすれば、看過することはできません。この裁判を通じて、理解を深め、可能なかぎり、行政や施設にそのような体罰や子どもへの人権侵害がないように要求し、社会に明らかにしていかなければなりません。一部の良心的な児童福祉関係者、里親たち内部での努 力という狭い専門領域にとどまれば、何よりも子どもたちに必要な将来の生活設計を含む社会的で包括的なケアの実現にはつながりません。 あと二回程度非公開での審理のあと、秋に第一回目の公判があります。廣岡さんの裁判を支える会を公判に向けて結成すべく、以下の日程で準備会議をすることになりました。すでに1月に福岡、4月に下関で会合を重ねており、今回は三回目の会合となります。傍聴や裁判費用のカンパなどを行う支える会の発足と当事者である県に対する直接行動計画などを話しあいます。関心のある会員のみなさんに、ぜひ参加していただきたいと思います。
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